中秋の名月と斉藤和義「月影」-64

日常

過日9月17日は、十五夜、中秋の名月、一昨日は煌々と夜空を照らす満月でございました。ちなみに一昨日の満月は、今年二番目に大きい満月のようです。立派な満月でした。

中秋の名月は平安貴族の「観月」という宴が始まりで庶民の間にも「お月見」として風習化していった催しのようです。公園のベンチに座る若者たちのグループを見て、今も昔も、老いも若きも関係なく、人々に月を愛でる心が根付いているんだなあと思ったしだいであります。まだまだ日中は残暑にうなだれますが、虫の声と空に浮かぶ月を見ると季節は確実に秋に向かっていると感じます。

さて、月見はどうだったかと申しますと、大阪南部は雲が多く、雲に隠れたり、出てきたりと、なかなかまん丸お月様は姿を見せてくれません。イメージと違う月見の様子もこれまた風流であると、無理やり肯定するしだいでありました。それでも月影といいますか、この満月たる月のあかりは、雲の中でも存在感を示し、いつもより明るい夜空を演出しておりました。子どもの頃、宮崎の祖母がこの時期の月は「大きくて、近い」と言っていたことを思い出しました。ネオンが少ない地域の月夜はスーパームーンでしょうね。

人はなんだか、月には魅了されます。引力のせいか、引き寄せられるような感じで神秘的であります。よってか、月にまつわる文学や音楽も非常に多いです。特に音楽なんぞは、たくさんあります。クラシックではベートーヴェンの「月光」、これはもう、なんとも切ないというか、重いというか胸に差し迫るピアノ曲であります。この世から月の光がなくなったかのように聞こえてきます。

ポピュラーではジャズの巨匠グレンミラーオーケストラの演奏の「ムーンライトセレナーデ」が有名ですね。月の明かりの下では、楽しい出来事が起こるような、予感を感じさせてくれる曲です。ボーカルものでは、ビートルズ「ミスタームーンライト」ジョンレノンのシャウトが素敵すぎて、なぜか切なく感じるほどでございます。

いろいろと月にまつわる音楽がありますが、私が選ぶ、「月にまつわるベストソング」は、斉藤和義の「月影」でございます。1997年の曲でして、ボブディランを彷彿させる、ハーモニカとアコースティックギターのイントロがノスタルジックさを醸し出して、非常に良い曲でございます。歌詞がいいんですよね、この曲。少し引用しますと「今夜 夢のバスに揺られている 街はまだ眠る 晴れた夜に輝く月 どこまでもついてくる 10年前にもしもちょっと行けるのなら何をしようかな あの懐かしい街にでかけ 月の影を目指して・・・」と続きます。「今も昔も、月の明かりは僕たちを変わらず照らしてくれている、そして、これからも。」と、いう感じでしょうか。私的には、そんな感じで伝わります。

月影を聴いていると、昔に連れて行ってくれます。夜空の月を眺めると、ふと今を照らしてくれる気分になります。月影を聴きながら月を眺めると、未来を照らしてくれるような気分になります。自分の頭の中も、まるで、雲から出たり、隠れたりと、月影と同様ですね。昔と今と明日をいったりきたり。

とりわけ、月を見上げることはなかなかないけれど、せっかくの満月だから、ちょっと眺めて、好きな曲なんぞを聴いてみたりすると、いささか日中の頭の疲れもクールダウンしていくようであります。来年は、しっかり中秋の名月を味わいたいものです。

変わったもの 変わらないもの すべては胸の中に~♪

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