ひまわり畑におもう日-50

日常

自宅近くに四季折々代表する花を植栽している、大きなお花畑があります。夏はもちろん、「ひまわり」が咲き誇ります。

夏の太陽の日差しに立ち向かうかのように背丈を伸ばし、自慢の鮮やかな黄色の花びらを咲かしている「ひまわり」。元気いっぱいのその姿に、この季節は魅了されます。一斉に咲き誇るひまわり畑ともなると圧巻の一言です。晴れた空の青と、黄色一色で埋め尽くされる輝きは暑さも忘れ、心を奪われます。

そんな「ひまわり」、暑さと親和性を感じますが、なんと寒い国のロシアでは国花となっているようです。その理由は寒さをしのぐにあたり、脂質をたくさん摂取できるひまわりの種は、現地の人たちに最適な食であるようです。他にも様々な理由があってのロシアの国花として重宝されているようです。

どおりでといいますが、1970年公開のイタリア映画「ひまわり」では、ロシアに広がる、広大なひまわり畑がとても印象的です。しかしながら、そのひまわり畑の下に眠る戦争被害者の魂の存在を知ってしまうと、元気よく咲き誇るひまわりの姿も、なんとも言えない、もの悲しさを感じ、戦争の是非を考えてしまいます。

本日は原爆記念日でございます。79年前の今日、広島県に原爆が投下され、罪のない20万人を超える人の人生を一瞬で奪いさりました。当然、街は言葉にできない悲惨な惨劇となりました。その後、9日には長崎県が原爆の被害に、そして15日に終戦となります。それが1945年の8月のことです。私は、まだ生まれていません。戦争を体験していません。

映画「ひまわり」はイタリアで新婚生活を愛しむ夫婦が、戦争という自分たちの力では、どうしようもできない出来事に、人生を翻弄される物語です。小さな幸せを破壊され、やり場のない悲しみと向き合い、愛がなくても生きていける現実を知る。見るものを哀切の境地へといざなう映画です。ロシアへ戦争に行く男をイタリアの汽車の駅で見送る女、ラストシーンは戦争が終わっているのに、その時と同じようにロシアへ行く男を同じ駅で見送る女。ここに戦争で失われた愛への、悲しさと虚しさがすべて表現されている気がします。

映画の途中のシーンで、帰ってこない男を女がロシアに探しにいくシーンがあります。そこにたくさんの戦争被害者が眠る、広大なひまわり畑が映し出されます。捕虜にされたイタリア兵をはじめ、戦争で死んでいった多くの人々が葬られているのです。

さて、79年経った2024年も尚、紛争、戦争は絶えません。目には目を的に核兵器の所有が正当化されています。戦争とは命を奪います。また、残された者の日常と未来を奪います。人生そのものを強引に奪いとってしまうのです。

戦争を体験していない人間としては、今後どのように戦争が起きない、平和な世の中を作り上げるかを考えることが、次世代への引き継ぎとなっていくのだと思います。ジョンレノンと忌野清志郎は、「愛と平和」を歌うことで次世代に引き継いでくれました。決して他人事ではなく、自分事に引き寄せて考える日を持つことも、生かされている人間としての責任かもしれない。そんなふうに思います。

ちなみに映画ひまわりに映し出された、ひまわり畑の墓標のあるところは、現在のウクライナだそうです。ひまわり畑を見て、ただただ輝きに心奪われるだけでなく、その裏に秘められた戦争の悲しみも思い出すようにしたい。

そんなことを朝から考えたりした。

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