猛暑であっても、夏の朝は朝顔が彩ってくれる。淡い色合いが幾分か涼しさを演出して、急ぐ私の足を止める。駅までの距離は徒歩にして約15分。梅雨明けを待たずにフライングぎみの、遠慮したかのような元気のない蝉の声を聞きながら、大きな横断歩道を渡る。日陰のない歩道は雲一つない青空から強い太陽の日差しが照り付けて、通りすがりのご老人の行き場を無くしている。
改札に入り、構内には乗客を冷やしてくれるクーラーが4機、どれもこれも我先にと風の吹き出しの場所を占領している。私もしれっと徐々に入り込んでおこぼれの風を浴びながら汗をぬぐう。お気に入りの冷たいミルクコーヒーを飲み干して、お決まりの8両目の右側の端に乗りこむ。
今から取引先様の会社に向かう。
案件は飲食店事業部会議への出席。社長はじめ事業部長、各店舗責任者及び料理長、総数20名が集まる会議だ。内容は、6月の営業損益と売上向上施策、原価及び人件費のフロアコスト率の削減に対する施策の発表。この会議も社長とリニューアルをして、30回を数えるほどになった。相応にこなしてくると、それぞれの店舗の季節変動も頭に入り、責任者のモチベーションの浮き沈みも目に浮かぶようになってくる。
どの業界も同じだと思うが、発言にはきらりと光るものがある人、逆に何を発言しても言い訳にしか聞こえない人がいる。この違いはなんだろうと、よく考える。毎回考える中で、ひとつ自分なりの仮説ができあがった。
それは、シンプルに「やれば発言したくなる。やならければ発言できない。」ただそれだけである。
そもそも営業成績が悪ければ、発言したくない。よければ発言は元気になる。自分も含めてそんなもんだよなと思う。けれどもこの会社の社長は、定量的な数字もさることながら、目標に対してどんな泥臭い行動をしたのかを見ている。
ただただ聞こえのいいインターネットに書いてあるような施策を並び立てるような発言が大嫌いだ。自分たちで考え、トライ&エラーを繰り返すことにお仕事の価値を見出しているのだ。
そのようなものの見方をすると、ほんとうに売上向上に対して考えたのか、そして行動を起こしたのかがわかる。やった人は例え、その月の売上が悪くても、頑張ったことが伝わってくる。新規集客のために、いつ、どこで、だれに、どんなチラシを何枚巻いたのか。リピート顧客に対して何件電話したとか。なんせ泥臭いのだ。キラリと光るのだ。スマートでなくても一生懸命なんだ。
それが伝わってくると、社長って安心するんだ。
社長は、その泥臭さが数字に表れるとわかっている。数字なき物語はないと知っているのだ。どんなやり方でも一生懸命やっている人は、いくら言葉が下手でも伝わってくる。逆にきれいな施策を並べて、さもやっているように言っても伝わらない。なぜなら、やっていないからだ。
会議とは、本当にやってる人とやっていない人が浮き彫りになる場だ。言葉と数字は真実を物語るものなんだ。自分にもそう言い聞かせて、今日は終わりにしよう。お疲れさまでした。
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