1日参り-91

寺社

今年最後の1日参りは、気持ちのいい青空と澄み切った冷たい空気の中、清々しい気持ちになれたと同時に、多くの気づきを得たひと時だった。自分の道を切り開くために歩んできた一年。その終わり際に訪れた大きな試練に、少し戸惑いながらも、不思議と乗り越えられる力が湧いてくる。普段の自分の考えや心持ちが、まだまだイケてないことに気づかされた瞬間でもあった。

1日参りを始めた頃は、どこか自分に照れ臭さを感じて、足取りも少し重かった。しかし、今では「1日」がくるのが楽しみで仕方ない。その理由の一つは、社務所のお母さんとの挨拶だ。笑顔で「ようお参り」と声をかけてくれる彼女。そのやさしい声には、まるで「ここに居てもいいんだよ」と承認してくれるかのような温かさがある。その挨拶が、毎回私の足取りを軽やかにしてくれる。

今日も変わらない優しい笑顔と声で迎えてくれた。その一言だけで、なんだかお腹いっぱいの気分になれる。

社殿の左手に目を向けると、真っ赤に染まった紅葉が目に飛び込んできた。思わず「きれいだな」と感じる前に、「そういえば、ここにもみじの木があったんだ」と初めて気づく。何度も通っているのに、紅葉するまでその存在に気づかなかった自分が少しおかしい。

自分の記憶や感覚は、いつも絶対的だと思い込んでいる。でも、それが正しいとは限らないんだな。もみじの鮮やかな色が、そんな当たり前のようで見過ごしがちなことをそっと教えてくれた。

二礼二拍一礼。すべての出来事とご縁ある方々に感謝。神社に到着する前は、具体的な感謝や祈りをいろいろと考えていた。けれど、社殿の前に立つと、いい意味でどうでもよくなった。一言、「ありがとうございます」しか出てこなかった。

そして月替わりの掲示板に貼りだされた、今月の言葉。「人を信じよ。しかし、その百倍も自らを信じよ。」手塚治虫先生のこの言葉が、心に強く響いた。

今年の終わりにこの言葉と出会えたのは、何かの巡り合わせかもしれない。人を信じることの大切さはもちろん知っているつもりだ。でも、その百倍も自らを信じること。それは、自分自身の力を信じ、未来を切り開く勇気を持つことなのだろう。

人生には思いもよらない試練が訪れる。それが目の前に立ちはだかるとき、自分の弱さや迷いに足をすくわれそうになることもある。だけど、そのときこそ、自分の中に眠る力を信じたい。この一年を振り返ると、自分にとっての試練や課題がいくつもあった。その中で何度も迷い、立ち止まりそうになりながらも、振り返れば、一つひとつを乗り越えてきた自分がいる。それはきっと、信じる心があったからだ。

神社の駐車場で、思いがけず知り合いと出くわした。風の噂で、私が会社を立てたことを耳にしてくれていたらしい。「頑張って!」という一言と、力強く手を握りしめてくれた。その行為のスマートさに、まるで神様の分身が目の前に現れたかのように感じた。

氏神様への1日参りを終え、帰りの車中のラジオからベートーヴェンのピアノ曲「田園」が流れた。音楽には不思議な力がある。今の清々しい気持ちをそのまま包み込み、そっと支えてくれるような気がした。

ふと、音楽に携わることから遠ざかっている自分に気づかされた。昔、音楽を通じて得ていた感動や癒し、そして何かを創り出す喜びを思い出す。こうした気づきもまた、今日の参拝がもたらしてくれた贈り物なのだろう。

今年も残りわずか。立ちはだかる壁があっても、健康第一で一歩ずつ進んでいこう。きっと、その先にはまた新たな道が続いているのだから。

                                   2024年12月1日

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