人はなぜ安いものに飛びついてしまうのだろうか。「安い」というこの魅力的な響きは我々消費者をなぜくすぐるのか。ここのところ物価の上昇に伴い、「安い」という言葉によりひっぱられているような気がする。思いっきり「安い」に飛びついた高齢の母親の事例を紹介したい。(経済の難しい話でありません笑)
先ず、この安いという字の意味の確認だ。「安」は、安心の安である。その意味合いは「やすらかである」「おちついている」「たやすい」などの意味で使われている。そう、そのことから、「安い」は人の心を安心させるのである。これは、「安い」に魅力を感じる大きな心理的要素なのだ。
次に、どの程度安いのか。これは直感的なことだ。自分が潜在的に感じている価格よりも低いと感じた時点で、「安い」なのだ。この直感的にハイコストパフォーマンスを感じることが「安い」につながるのだ。
そして、この安さを手に入れるべきかの葛藤が始まるのだ。リスクがない、あってもいいしなくてもいい。けれどコスパサイコー。このような葛藤が「安い」に対して頭の右左をいったりきたりしている。そして最終「安いから」と判断するのだ。
このように「安い」は安心であり、かつコスパがいい、必要でなくても必要であると脳が判断する。
母親はこの三段論法により、1つ25円の小さなお花を4つ購入したのである。合計100円だ。
満面の笑みだ。今回は彼女の趣味である園芸商品であるため、喜びはひとしおである。このように「安い」は人を幸せにするのだ。そう、彼女のコスパは、費用対効果の対象が「喜び」なのである。
すべて「安いから」という観点で商品・サービスを求めるものではない。当然、世の中の相場と適正であるかという判断は必要である。しかし、趣味の世界では、「安い」が非常に幸福感につながるのである。どんどんお金を投資して趣味を楽しむことも人それぞれだが、高齢ともなるとお金を欠けずに趣味を愉しみたい。
彼女のささやかな趣味は、ささかやな投資で、ささやかな幸福感を手に入れる。ささやかであることの条件が「安い」なのである。身の丈にあっているかが大事である。自分で言うのもなんだが、母親を見ていると「身の丈経営」が大事だなとつくづく思う。
1個の25円の小さな花で味わえる幸せを、引き継いでいきたいと思った。そんな母親の誕生日に一輪挿しを購入した。理由は安いからである。100円だ。笑 彼女は知らない。これは私の親孝行の一環とした費用対効果である。
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