1カ月が過ぎるのは本当に早いものだ。毎年、お盆を過ぎると月日の流れが加速していくように感じる。そして、毎月「1日参り」を続けていると、その感覚はより一層強まる。ついこの間1日参りをしたばかりだと思っていたのに、もう10月1日がやってきた。
この1カ月で神社の風景はすっかり変わっていた。季節の移ろいを感じる中、変わらないのは社務所のお母さんの優しい笑顔。「ようお参り」と声をかけてくれるその瞬間が、僕の中で何か大切なものを満たしてくれる気がして、1日参りの価値がさらに高まる。
神社の風景には、夏の名残と秋の深まりが交差している。つくつくぼうしが最後の力を振り絞って鳴いているし、秋桜は満開。稲穂は収穫を待っているかのように頭を垂れている。毎月同じ時間にお参りするのだが、朝日の照り方が微妙に違う。その朝日に照らされた鎮守の森では、鳥たちが賑やかに鳴き、心地よい空気が流れていた。今月の1日参りは、まるで山深い神社に来たような気分だ。来月11月1日には、どんな風景が広がっているのだろうか。
毎月、神社の社殿に貼り出される「今月のことば」も楽しみの一つだ。10月のことばは「弱いものほど相手を許すことができない。許すということは強さの証だ」という、インドの英雄ガンジーの言葉だった。これは、日常生活においても非常にわかりやすく、心に響く言葉だと思う。
この言葉を自分なりに解釈すると、「強さ」というのは、外に向かっての力ではなく、自分自身に向けられた強さを意味しているのだろう。自分を律し、約束を守り、努力や苦労といった見えない敵と戦う力。そして、他責ではなく、自分に責任を持つ姿勢こそが、その強さの本質だと思う。
強さがあれば、感情をコントロールできるし、人の気持ちも理解できる。人を許す行為は、相手を改心させ、正しい方向へ導くものかもしれない。本当に強い人は、自責の念を持っているからこそ、人を許すことができるのかもしれない。なぜなら、他責で生きる人は自分を正当化し、他人に非を求めるため、「許せない」という感情を抱きやすいからだ。ガンジーが言いたかったのは、「弱い者は他責で生きているから許せないのだよ」ということなのかもしれない。僕自身、まだまだすべてを自分のせいにできていないな、と思いつつ笑。
10月1日の1日参りは、変わりゆく風景とともに自分の心をリセットすることができた。そして、神様が授けてくださったこの言葉から、もっと自責の念を持つことの大切さを学んだ気がする。神様は、きっと自分の中にいるのだろう。また来月もよろしくお願いいたします。
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