1日参りをして気持ちをリセット-4

寺社

6月1日に、近くの神社に1日参りをしてきました。

ここ2カ月、アポイントと重なって、1日参りができていませんでした。

そのせいか、なんとなく、うまくいかない日々に悶々と。。。

「こんなもんだな。」と割り切りながら仕事をしてきたけど、年齢のせいか、「こんなもんだ」 と割り切るのが下手になってきたようなきがします。笑

そんな悶々とした気持ちをリフレッシュするべく、いいタイミングで「1日」が巡ってきました。

 自身の心の在り方をリセットするには、絶好の機会である「1日参り」。

不思議だな、良い氣が流れているところに行くと、よどんだ心が洗われる氣がします。

1日参り、なんか区切りのつけにくい日常に、区切りがつく感じで、足取りが軽くなります。近くの氏神さん参り、おすすめです。

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 ふすまから差し込む朝日と鶯の透き通る声に目を覚まし、6月1日を迎えた。

 ほどよい緊張感と焦燥感にかられながら日常と対峙している。起こる事象は焦燥感を加速し、漠然とした不安に苛む日々を連れてくる。

「何か変えなきゃ」と布団から起き上がる。 改めて鶯の鳴き声の美しさに気づき、気持ちが落ち着ついていく。

 2024年指針は「ゼロスタート」である。まさしく、今までを捨て去り、0から創り上げていくと いう意味だ。いざ、0を更新し続けると肝の座りの悪い自分に気づく。あれだ、これだと騒いでし まう。

冒頭の悶々とした事象は、その反動による人間関係の摩擦だ。 僕は甘えたで弱い人間なのかもしれない。 人との関わりを持ち、信頼関係を構築していく過程で、過度な期待をしてしまっている。また、褒められることを望み、承認欲求をさらしてしまう。非常に弱い人間だ。

4月から5月にかけては、自分の弱さを感じる出来事が続き、人との関わりに苛立ちとあきらめを感じた。 振り向けば、ゼロになった。予定どおりか。

 本日、6月1日の「1日参り」は、強い自分になるための決意表明をすることができた。 一文で言うなら、「人にも人生にも期待しない。人生が自分に期待しているのだ。」である。 そこには、故に、自分1人で切り開いていく努力をするのだ。と続く。

株式会社を設立した責任感から、より繊細になってしまったのかもしれない。

本当は関わってほしい。もっと応援してほしい。いうなら信頼関係を構築しているではない か。と心の声だ。それが甘えだ、弱さの暴露だ。

すべては自分自身が強くなることだ。精神的にも肉体的にも、このようなことを繰り返し、年齢 は食っているが、成長していくしかないのだ。神さまは自分の中にいるのだ。

6月1日の春日神社の鶯は、僕を諦念の境地へと誘ってくれた。 「こんなもんだよ」と一生懸命に連呼しながら。

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