終戦記念日も過ぎ、今日は8月16日の送り火でございます。8月は、夏休みのワクワク感やレジャーを満喫するとか、「楽しむ」というイメージがありますが、なんとなく、もの悲しくもある不思議な月だなと思います。夏が行ってしまうというか、終わってしまうというか、これほど去り行くことに、心奪われる季節もないのではないかと思ったりします。
そのうちの1つですが、本日の送り火も個人的には、感傷的になったりなんかするのであります。送り火のこの日は、お盆に現世に帰ってこられたご先祖様が、あの世にお帰りになる日でございます。
我々がこの世に存在するのは、まぎれもなくご先祖様のお陰でございます。当たり前のように日々を送っていると、根本的な「おかげさま」も忘れがちになります。こういったお盆があるが故に、感謝の気持ちを思い出し日々を振り返ることができます。しかしながら、このお盆という行事、なかなか不思議な点がございます。
なぜ、ご先祖様は8月という暑い夏に帰ってくるのだろう。それと、なんのためにこの世に帰ってくるのだろう。この時期と目的がなんとももどかしく、少し考えてみたりしたしだいでございます
先ず、前者の時期についてです。なぜ夏なのか。春と秋はお彼岸があり、冬はなんとなく寒くて、あの世とこの世を行き来する行動力がイメージしづらい。と消去法で考えてみました。されどお彼岸とお盆とは、どう違うのでしょうか。これは、もはや自分の知識では納得しづらい領域でして、インターネットヤホーで調べてみることにしました。
お彼岸ですが、ご先祖様のお墓参りや法要をすることが一般的であります。そこに「ご先祖様帰る」の意味合いはなさそうです。むしろ、元来、生きている我々側への仏教的メッセージがあるようです。なんと、人々が煩悩を無くすための修行期間であると。どこでどうなって先祖供養になったのかはわかりません。日本の伝統仏教成り行きですねえ。
なぜ、8月なのかに戻りましょう。これはヤホー先生の情報により納得ができました。というのはお釈迦さんの時代が発端のようです。お釈迦さんのお弟子さんが、ご自身の母上が地獄で飢えに苦しんいることを知って、どうしたらいいかとお釈迦さんに相談したようです。お釈迦さん曰く、「夏の修行が終わる7月15日に、母に供養を捧げて飢えた心を満たしてあげると母を救える」と伝えたようです。それから「精霊を供養する」という行為が旧暦の7月15日に定着したようです。ということで供養をするということがこの夏の時期になったようです。しかも仏教が開かれた時代からのことです。しかし、ここにも「お先祖様帰る」の情報はない。
日本に仏教が伝来して約1500年が経ちます。奈良時代・平安時代、鎌倉時代、戦国時代、江戸時代と日本は伝統仏教とともに変化を遂げてきました。お釈迦さんの夏の供養の話もどこでどうなったのかはわかりませんが、その夏の供養が庶民に定着したのは事実です。そこになんらかの、普及させたい理由または、普及させなければならない問題があったのだろうと推測します。それを解決するには、「ご先祖様が帰ってくる」という壮大な物語の力がうってつけだったのかもしれない。これも推測するに日本の伝統仏教に成り行きなんでしょうね。
そうだとしても、少し考えてみれば、何をするためにこの世に帰ってくるのだという素朴の疑問が生まれます。私の2つ目の目的へ疑問点です。これはヤホーに答えはありません。
前述の「ご先祖様が帰ってくる」というシンプルな理由は、かなりインパクトが大きい。加えて奥が深いと考えます。なんか、お盆の供養をしなければバチがあたるかもしれないという恐怖心さえ芽生えさせます。
私が考えた先祖様が帰ってくる目的は3つあります。1つ目は、ご先祖様が自身の存在を忘れていないか。とチェックするために帰ってくる。ご先祖様チェック!です。もし忘れて供養もしないのなら、何らかのメッセージを親心的に残していく。2つ目は、ご先祖様が「ありがとう」を伝えに帰ってくる。ご先祖様が自身のことをおもんばかり、供養をしてくれているその気持ちに対して、ありがとうと。そして、3つ目は、私たち子孫がきちんと、一生懸命に、人生と向き合っているかの確認。子孫が現世でがんばる姿を見たいのかなと。とそんな仮説をしてみました。
その仮説でいくと、このお盆という8月にご先祖様を迎え、送り出すという行事は我々の年に1度の先祖に対する報告会と結論づけてもおかしくないと思います。
1つ目と2つ目の目的はお互いの感謝の気持ちで成り立ちます。3つ目はご先祖様からしたら、そりゃ心配ですよ。であるなら、我々は心配ありません、きちんんと頑張ってます。こんなふうにね。と報告をするのが筋っちゅうもんですわな。
ていう感じでダラダラと書きましたが、いずれにしても帰ってきてくれたご先祖様に「ありがとう」ですね。
どうぞ、無事に道中気を付けてお帰りください。来年、また、いい報告ができるように日々精進いたします。では、また、来年!
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