観音さま-38

寺社

仏さまの中でも、観音さまに魅力を感じています。少し、前のめりの立ち姿が非常に美しく、我々衆生に一番寄り添ってくれるような気がしています。お地蔵さまもそうですが、菩薩には親近感を感じます。

「人が見ていないからと、悪いことをしてしまっても、必ず観音さまが見ているよ。」と子ども頃に言われました。無条件にそういうことはしてはダメなんだと思った記憶があります。信仰が根強い地域などは、そういった戒め的な使われ方もあるでしょうが、「観音様を悲しませてはダメよ。観音様は私たちが困っていたら助けてくれる仏さまなんだから。」と日々、お世話をして感謝と祈りを捧げる、ありがたい存在であると思われます。

大河ドラマ「光る君へ」をかかさず見ております。源氏物語の作者「紫式部」と平安貴族代表「藤原道長」の二人が主役となり、そのころの男女の関係性、天皇と貴族の政治の在り方、平安文化や社会的な出来事など、そのころの成り行きを物語化しております。

そのドラマの中で石山寺が度々出てきます。紫式部と石山寺の関係は言わずもがなですが、なぜ石山詣なのかはドラマでは読み取ることはできません。平安中期頃までの寺院では女人禁制といい、女性がお参りできない時代でした。女性が詣でることができなかったのです。しかし、さすが衆生に対して慈悲深い観音さまは、お釈迦さまの「人は誰でも平等に成仏できる」という教えのもと、女性も受け入れ可能としてくれたのです。そのお寺は京都の清水寺、奈良の長谷寺、そしてこの滋賀の石山寺なんです。いずれも御本尊さまが、我らが観音さまでございます。

故に、石山詣は当時、貴族の女性に人気が出た観音参りだったのであります。今でいう大バズリ、てとこでしょうか。

そのような話も知ると、観音様ってほんと優しい仏さまだなと思います。魅力を感じますね。観音さまの仏教的な難しいことはわりません。けれどもなんか困った時に「観音さま、すみません、助けてくださいー」みたいな言葉を言いやすい存在かなと思います。誰にでも身近な存在、それが観音さまではないでしょうか。戦国時代は念持物として懐や髪に、肌身離さず小さい観音様を持ち歩いた武将もいたようです。

初夏の頃、石山寺に詣でました。湖に向かって雄大に流れる瀬田川に沿って歩いて行くと、寺門で力士像がお迎えしてくれました。新緑の青もみじが光り輝き、石山と名のごとし、大きな石がそびえ立つ風景、ここにいるのか!観音さまーって感じの雄大なお寺でした。

観音様の御開帳はなく、お会いすることができませんでした。そうなんです、僕はこの会えないというところにも観音さまへの魅力が湧くポイントであると感じています。会いにきたけど会えないのです。ご縁があって会える観音さまもいらっしゃるのですが、この会いたいけど会えないという方が魅力的なのです。そのことで自分の心に観音さんを持つことができるのです。 僕たちは、日々の暮らしの中で逆境に立たされ、どう生きるかという最大のテーマをつきつけられる時があります。 そこから逃げずに向き合い続けながら、時々、観音さまのお力を借りようと、神だのみをします。それに対して、観音さまは絶えず、人々を見捨てずエールを送ってくれるのです。 それに気づくには、自分の中に観音さんを感じることが必要なんです。会えなくていいのです。感じるだけでいいのです。

石山寺は、そういうことを気づかせてくれるお寺でした。 今も昔も人間は人を愛し、人から愛され生きていくのだと思います。言葉を話し、言葉を聴き、相手に文を書き、相手に伝える。紫式部もきっと観音さんを感じながら、このお寺で物語を書いたのだろう。そう思うと源氏物語は観音さんのおかげかも。

そんなとりとめのない思いにふけった土曜日の午後でした。観音詣、いいですね。

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