秋の深まりとともに、緑が燃えるような紅に染まる季節が訪れた。若々しく見えていた山々が、新たな装いを纏い、人々を惹きつける。
色鮮やかなもみじを求め、この刹那ともいえる短い季節の美しさを楽しむために、人々は心躍らせながら計画を立てる。名所と呼ばれる場所に足を運ぶのもいいが、意外と日常の生活で見落としている紅葉もある。
ふと思い立ち、少し早起きをして街の中を歩いたり、地元周辺を車で回ったりした。朝の冷たい空気に触れると、澄んだ気持ちが心を包む。ふと足を止めて見上げると、通勤路の並木道が思いのほか美しく色づいているのに気が付いた。これまで何度も通った道なのに、改めてその美しさに驚かされる。
「めちゃくちゃきれいだ。」朝の光が紅葉を照らし、その鮮やかさが一層際立つ。
なぜ、人は紅葉に惹かれるのだろう。
なぜ、人はこうも「移ろい」に魅了されるのか。自分の体の「移ろい」は、もっぱら老いに向かうだけだが、それもまた一興と思う。
紅葉には、自然が刻む時の流れの美しさが凝縮されている。青々と茂っていた葉が、赤や黄色へと染まるその姿は、一瞬で終わる「今だけ」の奇跡。その刹那的な輝きが、人の心を掴むのだろう。紅葉した銀杏並木を見ていると、そんなことを考え、少し感傷的になる。
また、紅葉には「変化」というメッセージが込められている気がする。季節の流れに身を委ね、自らの色を変えていく木々の姿には、何かを手放し、新しい姿を受け入れる強さと柔軟さがある。その姿に、私たちも知らず知らずのうちに心を重ねているのかもしれない。
さらにもう一つ、紅葉が持つ「一瞬の儚さ」が、人の心に響くのだろう。見頃を迎える時間は驚くほど短く、鮮やかに輝いたその後には、ひらひらと散りゆく運命が待っている。その儚さが、美しさをより際立たせ、「今を逃してはならない」という思いを掻き立てる。
こう考えると、紅葉に惹かれる理由は、私たちが人生の中で感じる「変化の美しさ」や「時間の有限さ」と共鳴しているのかもしれない。
特別な場所や非日常を追い求めなくても、通勤路や近所の公園、ふとした街角に、それは確かに存在している。こうして早起きをして歩き出すだけで、心が澄み、感覚が研ぎ澄まされる。「美しい」と感じる気持ちは、どこか遠くに行かずとも、日常の中にひっそりと咲いている。見落としていただけで、紅葉も、美しさも、ここにあった。
何か大きな目標を達成したり、特別な景色を見たりすることだけが、心を満たすわけではない。日常の中でふと感じる温かさや穏やかな気持ちが、実は心の余白を埋めるのだろう。もしかすると、紅葉を見上げた瞬間に感じた「めちゃくちゃきれいだ」という言葉こそ、心が満たされた証拠なのかもしれない。
紅葉が教えてくれるのは、遠くにある特別なものを探すのではなく、今この瞬間を味わい、目の前にある「ささやかな美しさ」に気づくこと。仕事でも、人生でも、つい求めすぎてしまうことがあるけれど、足元にあるものを見直してみると、新たな気づきが得られるかもしれない。
美しさも、満足も、きっとここにある。気づく心さえあれば、人生のどんな瞬間もかけがえのない美しさに満ちている。
そう思いながら、冷たい朝の空気を思いっ切り吸い込んだ。
コメント