梅雨明けを告げるかのように蝉の鳴き声が大きくなった。駅の電車を待つ人々は暑さでうなだれている。僕もその一人だ。汗をぬぐったタオル地のハンカチがすでに重たい。
今日は取引様とのアポイントがなく内勤であるが、自宅から1時間半かかるレンタルオフィスに行く必要性もないため、ノマドワーカー的にPCを抱えてカフェの梯子をたくらんだ。
1件目はドトールコーヒーでブレンドコーヒーを味わった。本記事は、そのドトールコーヒー店での気づきを綴りたい。
ドトールコーヒーショップは言わずもがな、全国にチェーン展開している、知名度の高いカフェだ。「すべての今日を、支えていく」というスローガンを掲げ、幅広い年齢層と多様な用途で人気がある。こういった、FC展開を中心に店舗拡大していく業態はマニュアルに基づく運営が基本スタイルと推察する。
僕がよく使う、大阪市内のドトールは店内が広く、サラリーマンはじめ学生さんで賑わい、お店のコンセプト通り、「すべての今日」がお店の中でひしめき合っている。静かでもなく、ガヤガヤするもなく、僕にとってはちょうどいい雰囲気だ。そんな店内イメージを抱いている。
本日、僕が1件目に行ったドトールはそんなイメージとは一線を画した店内雰囲気だった。
個人的主観であるが、非常にお店の雰囲気づくりに好感が持てた。他のドトールとの違いは圧倒的にお店の接客スタイルが明るく、やさしく、セルフではない。というところだ。これはチェーン店としてドトールという看板を背負ったマニュアルどおりではないかもしれない。このお店独自のアレンジがなされていると思う。
店内はなんと高齢者で賑わっている。次から次へと来店してくるお客様は高齢者だ。年齢はまあまあの高齢とお見掛けする。
来店者にスタッフさんがフレンドリーに声をかける。「〇〇さん、久しぶりー心配してたよー」っと。僕は心の中でびっくりする「え?名前呼び?え?来店頻度把握してる?」違う来店者にも声がかかる。「〇〇さん、いつものセットでいい?」と。。。
また、僕の心の中で疑問がわく「え?また名前呼び?え?いつもの?なに、この店?」本来スタッフが「お決まりでしょうか」みたいな質問をして顧客が注文をする。ここの世界は違う。「いつものだ」そう、昭和の世界観である。
それもそのはずなのだ。この店は自宅の最寄り駅近くであり、60年近くなる大阪の泉北ニュータウンの端に位置する。ローカル地域であり、高齢者率37%の地区だ。29%である日本の高齢化率をはるかに超えている。
ここでの気づきであるが、当たり前のことであるが、地域性を大事にして地域に馴染み、地域に愛されるお店を創り上げないと、生き残れないということだ。当然、本部のマニュアルを基本スタイルに、あるべき接客手法を展開し、ドトールコーヒーとしてのルールを遵守しているはずだ。しかし、それを貫くことによる弊害もある。その貫きが命とりになる可能性もある。このお店がとった戦術は非常にターゲット層を確実に捉えた手法なのだ。実にマーケティングミックスが整合している。
故にコンセントが使えないようにシールが張られている。勉強や仕事で使う学生さんや僕のようなノマドでなく、たくさんの高齢者に愛されるお店になっているのだ。
そんなことを考えながら、僕は僕の居場所ではないと察知した(汗)
第三の場所という言葉が有名になって久しい。自宅でもない、会社でもない場所。これはスターバックスコーヒーのコンセプトである。果たして、乱立する現在のスターバックスは、このコンセプトと整合しているのだろうか。顧客の思考が限りなく商品ニーズへの移っている気がする。2011年以降、人と人とのつながりが重要であることへの気づきのもと、第三の場所は大いに意義のある場となったと感じた。コロナを経験し、もっとその価値が重要と感じている世の中になった気がした。けれども今、なんだか個人的主観だけどSNSというつながりが重要視され、リアルなつながりが希薄になっているように感じている。
一方で、このローカル地区のドトールは見事に高齢者の第三の場所となっている。彼らには仕事の場所はない。故に、どこか存在確認が可能な場所が必要なんだと思う。地域性を考慮すると、自然とこのようなドトールの姿になったのかもしれない。
意識した戦略かどうかは別として、結果、地域に寄り添うお店になっていることに、僕ごときで申し訳ないが「あっぱれ!」と言いたい。見事な第三の場所だ。
そして僕は途方に暮れながら、第二の場所を探すのでした。(汗)
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