11月は「神在月」。全国の神さまが各地に戻り、それぞれの場所でご加護をくださる大切な月です。先月は神無月と呼ばれ、神さまたちは出雲大社に集まって、なにやら会議をされていたとか。そして今月、神在月に神さまたちが出雲からお帰りになり、また各地の守りを再開されるんですね。さっそく私も、お帰りになった氏神さまに、月例の1日参りでご挨拶をしてきました。
参拝では、先月を無事に過ごせたことへの感謝と、今月もどうぞ良きお導きを、と願いを込めて言葉にします。そして、社務所のお母さんに「ようお参り」と声をかけてもらうのも楽しみの一つです。この神社で長い年月を過ごされてきたんだろうなぁと思いながら、屈託のない笑顔に陰徳を感じます。お母さんとの挨拶で、月が変わったんだなぁと実感します。
1日に張り替えられる「今月のことば」も毎月の楽しみです。今月の言葉は少々解読が難しいものでした。「私をさきとして 公をわするる心あるならば 世に久しきことわりもはべらじ」。これは、南北朝時代に後醍醐天皇の重臣であった北畠親房が書いた『神皇正統記』からの言葉です。
この言葉には、自分中心に物事を考えるのか、社会全体を考えるのかという深いメッセージが含まれているように思います。私心を優先し、公共のことを忘れてしまうならば、社会全体が健全に長く続くことは難しい。現代に置き換えれば、個人の利益や欲望に走り、公共や他人を顧みない心があると、持続可能な社会は築けない、という意味にも通じるのかもしれません。
「今月のことば」として神様がこの言葉を選んだ理由はわかりませんが、ふと自分自身を振り返ると、私心を優先して生活を送っているところもあるかもしれない、と感じます。そう考えると、少し後ろめたい気持ちにもなりますね。持続可能な社会を築くには?という問いに対して、SDGsという大きな枠組みを意識することで「やった気」になってしまうこともありますが、やはり根底にあるのは、何を軸にして行動するかという意識の向き、つまり、一人一人の心持ちなのかもしれません。
今日も鎮守の森は鳥たちのさえずりで賑やかなことこの上なしでした。神様も戻ってこられたことですし、私も今月も心新たに、ご加護をいただけるよう一日一日を大切に過ごしていきたいと思います。今月の「ことば」にもあるように、私心を抑え、公を意識することこそが、神様が望む世界なのだと思います。
「神代在今(かみよいまにあり)」という言葉があります。今この瞬間こそが理想の世界であるという意味で、過去への後悔や未来への不安を払拭し、今を見つめることの大切さを教えてくれます。そんな気持ちで、今この瞬間から自分の生活を見つめ直し、理想の世界に少しでも近づけるよう歩んでいきたいものです。
2024年11月1日。
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