白洲正子著-かくれ里-26

読書

その土地とゆかりのない方が、伝わる信仰・文化・歴史、それらにまつわる美術品を知識にもとづく精緻な文章で書物として後世に残し伝えてくれた功績は、村人から畏敬の念でいっぱいであろう。拝読してそう思う。

2カ月ほど前「和楽」という日本の文化や美術を伝える雑誌で「永遠のふたり」と題し、白洲次郎・正子の特集を組んでいた。久しぶりにふたりの名前を聞いた一ファンとしては嬉しいかぎりだった。

今もなお、ふたりに惹かれるのはなぜだろうと、私の本棚から白洲正子を探す。手にとったのは「かくれ里」時間を忘れて読み返してみた。その印象が冒頭の書き出しである。

「かくれ里」-1971年の彼女の名文紀行エッセイである。「かくれ里」という意味は、世を避けるがごとく、ひっそりと村人たちから守られている文化・歴史的美術品が残る村里のことである。私はそう解釈した。ちなみに正子は「別に深い意味はない」と本の中で書いている。笑

「かくれ里」で紹介されている里は近畿一円の24カ所である。この24カ所を彼女本人が目的地まで足を運び、その目で見て、村人から話を聞いている。当時の交通機関は、さほど便利であると言えない。ましてや観光地でもない「かくれ里」である。そうやすやすとたどり着けるとは思えない。相応の時間と苦労があったと推測する。

そのような見聞を精緻極まる文章で綴るこの本は、私からしたらお偉い学者さんが書く歴史論的な書物より、現場の声が満載な土着を知るマニュアル本である。

24の里すべてに興味があり紹介したいが唯一私も見聞したことのある「かくれ里」を紹介したいと思う。その里は「湖北菅浦」の章である。湖北といえば、滋賀県琵琶湖の北側、福井県に近いエリアを指す。戦国時代、浅井家の領土であり多くの合戦で悲劇が招かれた地区である。信仰深い村である所以は、そのような歴史的背景があるのかもしれない。

菅浦は湖北でも北端に位置し小さな港町のようだ。私は行ったことあないが、彼女の書からとてつもない衝動にかられる。

長浜からその菅浦までの紀行を書いた章が「湖北菅浦」である。その章に書かれた名分を紹介する。「高月」という村里の紹介である。

「長浜を過ぎると、急に静かになり、車で15分ぐらい行った所に、高月という駅がある。そこから東へ少し入った村の中に、貞観時代の十一面観音で有名な渡岸寺があって土地の人々はドウガンジもしくはドガンジとよんでいる。この観音については今までにもたびたび紹介され、私も書いたことがあるが、近江で一番美しい仏像が、こんなささやかな寺にかくれているのは湖北の性格を示すものとして興味がある。寺伝によると・・・」と続く。

私もこのエリアの観音信仰は非常に興味深く、この美しい仏像に手を合わしたい一心で高月の里をサイクリングしたことが強く記憶に残っている。この文章の一語一句が情景と空気感そして仏像の美しさを鮮明に甦らせてくれた。

このように、白洲正子「かくれ里」は精緻であるが故、1回読みでは筆者の気持ちになりにくいところがあるが、自身の経験から2回目は捉え方が違ってくると感じる。他23のかくれ里もなぜか、同行している気分になるのだ。

毎回、目的地までの道草が多いが、これがいい。人生道草だらけである。多少の道草なら観音さま許してくれる。道草しながら、かくれ里を紀行してみたいものだ。

次回は湖北の続きである、余呉~菅浦を紀行してみたい。「かくれ里」をひっさげて。

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