現実を受け入れる-32

日常

日曜の朝、近くのコーヒーショップで、30年来の友人と膝を突き合わすことができた。

互いの家族・仕事の話題の中、親の介護・相続に対する苦労話に花が咲いた。寄り添う立場としての友人の言葉が非常に印象的で心に残った。「認知症、この現実をどう受け入れるのか。」

互いの世界に忙しくなり、心の中で「いつでも会える存在」となっていた。共通の友人の他界がきっかけとなり引き合わせてくれた。今日の口癖は「俺たち、年とったなあ」である。それもそのはずだ。20代に勤めていた会社で、苦楽を共にしてきた友人だ。あれから30年だ。あの頃の新入社員の我々がそのまま会社にお世話になっていたら、もう早期退職者リスト入りだ。

認知症は本人もさることながら、向き合う方の心もしっかりしなければならない。彼の経験談はリアリティがあった。どうしっかりするのという問題に対しては「現実を受け入れる他ない」のだと。

普通の物忘れではないと症状を実感せざるを得ない時、頭が真っ白になった。漠然とした不安や現実逃避でこちらの心が潰れそうになった。介護が必要になることへの不安や自身の仕事・生活への影響を考えると、思考停止になる。また、「なんかの間違いだ。そんなはずない。たまたまの出来事だ」と現実逃避的な思考回路がぐるぐるしてくる。特に辛かったのは、向き合うことへの苛立ちと強い悲しみが込み上げてくることだ。

現実を受け入れた彼の口調に明るさと力強さがあった。いい意味で「なるようになる」である。逃避思考との葛藤もあったが、現実から逃げずにものごとを受入れ、淡々と行動していく。それが世界を変えていくのである。これが認知症と向き合う姿勢であると言わんばかりにドヤ顔の友だ。その顔を見て心の中で「年とったなあ」とつぶやいた笑

この記事を書いていると、友からLINEが来た。内容は、「介護、あまり無理しないように。お互い老いを受け入れてボチボチいこう」と書かれていた。彼は親の認知症の現実、そして自身が老いていく現実を、しっかりと確実に受け入れていることができている。僕は彼とコーヒーを飲むことで「現実を受け入れる」ことへの覚悟を持つことができた段階だ。勇気をもらうことができた。すべての事象に意味はあると感じる今日この頃です。感謝。

本日、7月14日は「ひまわりの日」です。夏の日差しがよく似合う元気な花ですね。ひまわりは太陽の動きを追って花が向きを変えていくようです。すごいですね。日差しから避けて避けて生活している私たちとは真逆です。そろそろ梅雨明けです。日の当たる方へ、当たる方へ向かいたいと思います。

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