消しゴムくん-6

日常
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最近、消しゴムをよく使います。

その度に消しゴムの偉大さに気づきます。「消せる」ってすごい!っと。

自分の書いた文字を好きになろうと思い、「字を丁寧に書く」ということに向き合っているのです。

事業者様の会議などに参加して、議事録として残すときは、PCを使いますが、

社長様と二人のミーティングなどの時は、できるだけノートをとるようにしております。

あえて手書きの場面を増やそうと。

自分で思考を走らせる時なども、PCを使わず考え付くことを方眼ノートに書き走らせます。

あとで見返すのですが、速記であることを100歩譲ったとしても、美しくない。何を書いているのかわからない。漢字が少ない。誤字だらけ。自分のメモだからと許せると思ってのことか。流石に自分に失礼である。

「きれいな字を書ける自分になりたい。」ノートを見るたびにそう思う。

なにより、私は消しゴムという、書き直しができる、魔法の文具を使わずにいたのだ。誤字に二重線とか、塗りつぶしとか、もはやノートが汚いのだ。

ミーティング中など、スピード命の筆記は、消しゴムなど使っている時間がない。そんな言い訳をしていた。

しかし、「字を丁寧に書く」ということを意識していくと、誤字に対して、自然と消しゴム君を使うようになったのだ。

そうすると、私のコミュニケーションの在り方に変化が生じた。

今まで以上に、聴く力が増した気がする。相手の話をしっかりと、一語一句、理解しようとしている。

そうすると、相手がゆっくりとした口調に変わってきたような気がする。

対話に深さが増した。まちがいなく。

消しゴム君はすごい。コミュニケーションの在り方を変えるのだ。

「消す」という行為は間違いに気づき、正しさを求める行為であるため、前向きであるがゆえに起こるマジックだ。

次に「消せる素晴らしさ」 について、消しゴム君を褒めたいと思う。

手書きで書く文字や文章は、やり直しができるのだ。

消しゴム君の力のお陰でどんどん、文字が整い、誤字がなくなり、読みやすい文章になっていくのだ。

紙面の消しゴムの後が残る箇所がいとおしくなる。「あーがんばってくれたんだな、消しゴム君。」

身を粉にして私の文字をきれいにしてくれる、消しゴム君。感謝だ。

「消しゴム君、ありがとう」。という気持ちになる。私はへんな奴だろうか(笑)

そんなことで、「字を丁寧に書く」ということに向き合っている中、消しゴムの存在が、今を変えていく、とても素晴らしいパートナーであることに気づいた。

人は書くことと、消すことで、書いているのだ。

書くことは、消すことから生まれるのかも。

雨の日曜日の昼下がり~

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