松尾寺~阿弥陀寺-49

寺社

戦国時代の焼き討ちは比叡山延暦寺が有名ですが、それ以外にも多数の寺院が焼き討ちに巻き込まれ、建物、仏像、仏法、何より人々の信仰が失われた歴史もあるようです。もし戦国時代の焼き討ちや明治の廃仏毀釈がなかったら、我々とお寺の関係性も今と違った形になっていたかもしれませんね。

僕の住む大阪南部の和泉市から貝塚市にかけて、また、和歌山岩出市あたりは比較的高野山にも近く、小規模ではありますが、古い寺院が多く存在します。戦国時代あたりまでは第二の高野山と言われるくらい、お寺が多く、勢力的に活動する存在のようでした。中でも和泉市には創建672年の古刹、松尾寺が存在します。

山門までの足元は決して歩きやすくはない。まるで山寺だ。途中、源平合戦の戦死者を弔う首塚が一層の歴史深さを感じさせる。山門とキラキラと輝く青いもみじの光景は大阪とは思えない、古刹ならではの美しさを醸し出している。ようお参りと言わんばかりだ。

山門をくぐると、青々とした草木に囲まれ、その先に本堂が見える。天台宗のお寺のようで、本堂を見守るかのように伝教大師が立っている。きりっとした目で見つめている。ご本尊は如意輪観音、我々衆生を見守る菩薩さまだ。秘仏だ。

堂々たる本堂の佇まい、秘仏である観音様、古刹感満載である。もはや参拝客で賑わう、観光寺といってもいい雰囲気だ。されとて、大阪南部の和泉市にひっそりと感謝と祈りの場となっている。

寺務所のお母さんに軽く松尾寺についてお話を頂いた。昔は隆盛を極めた大寺院だったようだ。お母さん曰く、「上とつながっていた」と。上とは多分、朝廷のことを言っているのだろう。そう、かなりの勢力を持ち塔頭寺院の数は半端ないくらい多く、大袈裟だが和泉市のほとんどが寺の領地だったような、それくらいの大規模寺院だったようだ。

672年創建から900年後、戦国時代に焼き討ちにあった。お母さん曰く「この辺の寺全部焼かれた」と。今のこの本堂は大阪四天王寺から移築したお堂のようだ。お母さんの配慮で本堂に入らせて頂いた。神秘的だった。すごかった。お母さんに御朱印を頂いた。「施願殿」と書かれていた。お母さん曰く。「願いを施す寺」とのことだ。どおりで神秘的だ。長い歴史の中、たくさんの難を乗り切り、廃寺にならずに今を迎えた。そんな力を観音様が持っているのだ。この先もお願いしますと願いを込めて手を合わせて後にした。

なんか、昔の話をするお母さんが少し寂し気に映った。もし焼き討ちがなかったら、もっと大きな存在のお寺で参拝者が絶えないお寺になっていたのかも。たらればを考えても仕方ないけど、これが長い歴史のあり様と思えば、また一周回った時がくるのかも。お母さん!いつまでも元気でいてください。と、観音さまに願いを込めた。

古刹松尾寺を後に次のお寺へと山の中を15分ほど車を走らせた。これまた、和泉市の古刹で、安産祈願で有名な阿弥陀寺だ。1300年前の創建とのことだ。光明皇后の安産を阿弥陀如来が祈願してくれたそうな。ということで大事な人のご家族の方の安産を祈り鐘を一つ打った。山間にいい鐘の音が鳴り響いた。阿弥陀様、どうかよろしくお願いします。

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