本日は勤労感謝の日です-87

日常

かつて、この日は「新嘗祭(にいなめさい)」と呼ばれ、その年に収穫された新しい穀物を神様に捧げ、感謝を捧げる大切な祭祀の日でした。五穀豊穣を祝う日として、自然と共に生きる私たちの営みを支えてくれるすべてに感謝する日だったのです。

時代が移り変わり、この日は農業だけでなく、社会を動かすすべての勤労をねぎらう日となりました。目には見えないところで私たちの生活を支えている人々の努力にも、改めて「ありがとう」を伝えたい日ですね。

朝、自宅周辺を散歩していると、毎日お一人でゴミ拾いをされているご婦人をお見かけします。ゴミでいっぱいの袋とゴミばさみを手に、一心に清掃活動を続けていらっしゃいます。その姿に本当に頭が下がる思いです。

「よくもまあ、毎日、こんなにもゴミが落ちているものだなあ」と驚きつつも、心のどこかでその方にすべてをお任せしてしまっている自分に申し訳なさを感じます。無言のまま淡々と続けられるその活動は、地域の環境を守るだけでなく、私たちの日常における闇の部分を教えてくれているように思います。

働くとは「はたをらくにする」という意味が込められているといいます。自分のためだけでなく、周りの人の負担を軽くし、心を穏やかにする行いが「働く」という言葉の本質なのかもしれません。

ご婦人が毎朝の清掃活動を続けている姿を見ていると、「働く」とは報酬を得ることだけを指すのではないというメッセージを感じます。その行動には、誰かのために動くことで、世の中を少しでも良くしたいという想いが込められているように思えます。

午前中、お取引先の社長と昼食をとろうと誘われ、外出をしました。その帰り、ふと立ち寄った寺院で、なんとも素敵な看板に目が留まりました。「ありがとうの力」を謳っている看板です。そこには、「ありがとうをいうと気持ちがよくなる」「ありがとうをいうと願いがかなう」と続き、最後にこう締めくくられていました。

「すべての人にありがとうを。」

なんだか今日という日にぴったりの言葉に出会った気がしました。この看板の言葉に触れ、私も改めて周りの人々に感謝を伝えたいという気持ちが湧いてきました。

世の中に必要のない「はらたく」はないと思います。「はたらく」はきっと誰かのためになっていると思います。その誰かはその「はたらく」に感謝の気持ちを抱くこととなり、よりよい社会が構築されていくのだろうと思います。

だからこそ、勤労感謝の日に「はたらく」ということをもう一度考えてみたいと思います。自分の働きが、誰かのためになっている。誰かの働きが、私たちの暮らしを支えている。そのつながりに感謝する心が、よりよい社会を作る一歩になるのではないのかなと。

勤労感謝の日、清掃ボランティアのご婦人と寺院で目にした「ありがとうの力」という看板の言葉が、日々の「はたらく」に込められた想いを考えさせられた。

いつかご婦人の社会をよくする行動力に「ありがとう」を伝えたいと思う。

コメント

タイトルとURLをコピーしました