座右の銘のアップデート-69

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9月29日は、「来る福」(くるふく)と縁起良く読めることから、「招き猫の記念日」として制定されています。伊勢のおかげ横丁では全国各地から10000点の招き猫が集う、「来る福招き猫まつり」というイベントを本日まで開催されていて、これまでを感謝し、益々の福到来に祈願して万歳三唱で盛り上がります。非常に福が伝わってくるイベントですね。

尚、本日は「一粒万倍日」でもありますので、最強に福にご縁がある日かもしれません。招き猫が大好きな取引先の飲食店さんがありますので、福を共有したいと思います。

この話題にちなんで福についてのお話が流れ良いのですが、なかなか福にありつくには、それ相応の自身の心持ちに鍛錬が必要かと思ったりします。その上で今回は、自身の日々における心持ちを保つ言葉の力について書きたいと思います。「果報は寝て待て」と言われても、福との遭遇までどれほど寝ることでしょう。笑

言葉の力とは所謂、座右の銘のことでございます。先ず、自分の座右の銘を紹介するより、そもそも座右の銘とは何か?という定義みたいなものについて考えてみたいと思います。考えるにあたっては、その言葉の力はどのような時に必要になるのかという視点からでございます。例えば、自分を奮い立たせたい時や自分に戒めが必要な時、岐路において右か左か前か後ろか迷った時、ことに悩んで答えを求めたい時、そのような時に、言葉の力が必要になるのではないかと考えます。

自分が自分にかける言葉が必要な時、それは自身の心持ちの状態が苦や迷いを感じていたり、逆に浮かれていたり、と自分を見失って客観的な言葉を無意識に欲している状態になっている時ではないか思います。そう仮定すると、座右の銘とは現在の自分の心持ちを支援してくれる言葉と仮説することができます。云わば、自分の状態を変える力を持つ言葉であります。

自分の言葉で定義しますと、座右の銘とは「自身の心境に応じて変化や気づきを促し心境を変える力を持つ言葉」となります。ちなみにインターネット「ヤホー」で座右の銘とは?を調べてみてみました。結果は「自分を励ましたり鼓舞したり戒めたり、日ごろから心に留めている言葉」とのことでした。私の定義より分かりよい笑 流石、「ヤホー」であります。

そうですね、日ごろから心に留めておくということが大事で、故に、第三者に唐突に質問されてもさらっと言える。それが真実味のある座右の銘であるかと思います。

前置きが長くなりましたが、僭越ながら私の座右の銘を書き記したいと思います。3つの言葉がありますが、アップデートをしまして誕生日である、10月1日より新バージョンとしてこの3つの言葉を座右の銘として日々を送っていきたいと思います。

一つ目は「独立独歩」です。字の如くであり、まわりに頼ることなく自らの信念を突き進めていく。という意味あります。私は他人様に過度な期待をする節がありました。希望や期待が距離感を謝り、信頼関係を構築できないという経験をしました。原因は自身のあまえであります。この独立独歩という言葉の力は、私の心の逃げ場を失くす戒めとエールの意味を込めた言葉であります。

次に「情けは人の為ならず」です。有名な言葉ですが誤解釈されやすい言葉でもあります。字の如くで展開すると、情けは人のためにならないと解釈してしまうかもしれません。本当は「人に親切にすれば、その相手のためになるだけでなく、やがて良い報いとなって自分に戻ってくる」という意味です。陰徳と同じ意味を持つ言葉です。この言葉はギブ&ギブの精神を持って日々過ごしていこうという指針みたいなものであります。よい行いとは、物やお金だけではなく、その人を思い、良い言葉を念じるだけでも小さな親切かもしれません。そんなことを思って「情けは人の為ならず」という言葉の力を信じています。

最後に井上靖先生の言葉「努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る」であります。前述の2つの座右の銘も人生に好影響を与える言葉の力でありますが、一番肝に銘じたい言葉でもあります。というのも人生は死ぬまで努力が必要であると思っています。私の場合。もし明日死ぬとなっても、夢を語りそれを達成するための努力の欠片をしていきたいと思っています。不満は満でないという意味です。いつ来るかわからない福に向かって、明るく1歩1歩、進むという努力をしていれば不満は口からでないものです。叶う叶わないは別の話で、努力という過程を楽しめばいいのです。といつも自分に言い聞かすことのできる、シンプルで素敵な言葉です。

以上、3つの言葉を座右の銘として10月1日よりアップデートしたいと思います。それといつか次のアップデートの時の候補を仲野教授の「座右の銘が効きまっせ」という本の中から見つけました。それは明石家さんま師匠の「生きてるだけでまるもうけ」でございます。

単純明快な言葉として捉えてしまいがちですが、非常に大きな悲しみとの遭遇があったが故に意味の持つ言葉となっていることを知りました。自身もこの先、この言葉を座右の銘にする時がくるかもしれません。

できれば、さんまさん本人から聴いてみたい。いつか新大阪駅で会えますように。笑

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