常識の物差しが違うことを受け入れ、どう折り合いをつけていくのか、そんなことを考える事柄が最近よく起こる。
常識という概念は今や、あってないものかもしれない。言い換えるとするなら「自分だったらそんなことはしないよな。」と思う事柄としたほうが、これから書く内容の場合、わかりよい。
それは不愉快極まりなく、憤りを感じることである。逆に相手は何も感じていない。こちらの憤りを知ると、「そんな些細なことで!」と、こちらを「常識のない人扱い」するかもしれない。このギャップが物事の捉え方の違い、いわば物差しが違うとなる。
心の底から「なめんなよ~」と言いたい。
どのような物差しの違い(なめられた)事柄が最近続いたか、私と弊社の顧問先の社長様の体験を3例あげたいと思う。
1例目は私の事例。新たに知り合った、同業(経営コンサルタント)の会社の、私よりも目上の社長さんとの間に起きた事件だ。
タイトルは、「LINEで一言で済ますな」である。
案件を共に進めていきたいとの話を受け、説明を受けに出向いた。遠方であるため1日という時間を要している。私もその案件に合意し、クライアント様のアポイントの日程まで決まる。その訪問日2日前に、その社長さんからLINEが入る。内容は「〇日がキャンセルとなりました とりあえずご連絡です」とのこと。
まあ、それはわかるが、子どもの使いやないねんから、理由の説明責任てものがあるだろう。アポの都合が悪くなったのか、代替日を出さないといけないのか、はたまた案件そのものが頓挫したのか、何のことかわからない。それから2カ月後、LINEで別件依頼の連絡がきた。
丁重にLINEで一言返しで、お断りを申し告げた。ものすごく気が悪い。
相手をパートナーとして大切に思うなら、キャンセル理由を電話1本入れるべきだし、途中経過も説明するべきだと思う、私なら、そうする。それが、物差しの違い。決して私を軽んじた行為でないことを信じたい。「なめんなよ~」
2つ目は、自社がリーガルチェックを依頼している弁護士事務所との間におきた関係性が冷める事件だ。
タイトル「責任者は速やかに謝罪を」である。
弁護士事務所から弁護士名の電子メールで、突然、請求書が届く。最後の接点は4カ月前である。請求内容と私の記憶が一致しない。なんの説明もなく、弁護士名で送られてくることに恐怖を感じる。その気持ちをそのまま返信申し上げた。結果、その送信者は弁護士ではなく、事務員であった。その事務員が電話で請求内容を話だした。請求漏れである。私は、支払いするしない以前に、ものごとの順番が違うことを告げた。もはや腹立たしい。弁護士の先生とは、良い関係を構築できていた。しかし、私に一報もなかった。10日後、弁護士から電子メールで送信者の件と説明不足に対する謝罪なのか、なんなのかよくわからない内容の文面が届いた。
ちなみに私は不本意であるが、別で無料で相談して頂いた案件があったので、その分の料金を有料と解釈して1回目の電子メールが届いた翌日の朝に振り込んでいる。
立場がそうするのか、お忙しいのか、私が小さいことにこだわりすぎなのか、これも物差しが違う。私を軽んじた行為でないことを信じたい。「なめんなよー」
3つ目の話は弊社顧問先会社様の社長ととある士業法人とのやりとりだ。
タイトルは「保身的な謝罪は関係性を構築できない」
ミスは人間である以上、起こる。しかしながら利害関係においては起こしたくない。迷惑をかけるわけにはいかない。故に、組織として厳重なチェック機能を設けて、商品・サービス・役務の提供がなされる。その延長で信頼関係が構築され、信用という言葉に変わっていく。
その過程において、ミスは起こってしまうこともある。また、なぜか続くこともある。
ミス(事故)が起こった場合において、如何に瞬時に謝罪し、状況説明をし、今後起こらぬよう、改善策を相手に提示できるか、その対応能力及びコミュニケーション能力が組織の長として必要となる。
本ケースにおいて、遅かった。2年の付き合いであるらしいが、電話1本なかった。
説明に来ても素直な謝罪じゃなかった、いともすると社長側に非があるようにも聞こえてしまう、保身的な謝罪だったようだ。
社長も、起こったミスに対して責めを負うことを論点としていない。だが、相手に誠意が感じられない場合、「対応」について憤りを感じることとなり、論点がずれることになる。
社長曰く「なめんなよー」と言っていた。
さてさて愚痴やぼやきともとれる、この事例3点であるが、共通していることは、相手を大切にしようとしているか。という気持ちが言葉や行動に出ているか。である。
矢印の方向が自分に向いていませんか。
ここに常識の違いというのは言い過ぎかもしれないが、私自身の人との接し方は明らかに違うと感じる。こういうケースにおいて、総じて「そんなつもりじゃない」という反論が出るのだが、「そんなつもりだろ」て言いたい。そう受け止めらずを得ないのだから。
時に自分がおかしいのかなって考えこむことがある。
まあ、そんなもんかな。ということにしておこう。
今日も歩道の野花はきれいだ。いいことありそうだ。
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