本日、9月21日は、世界的には国際平和デーと定められています。また、日本で先祖供養である、お彼岸入りの日であります。
国際平和デー、これは1981年に国連で決められた日であります。内容は停戦と非暴力を目指して、この日一日はすべての国と人々にとって共通の理想である国際平和を記念し、推進していく日であります。宣言を元にすべての国と人々の敵対行為を停止するように働きかける日でございます。私は恥ずかしながら、本日の「国際平和デー」を存じていませんでした。今まで「知らない」=「意識が向いていない」となっていたのでしょう。平和な環境なのかもしれませんね。
今朝方、「レバノン空爆」のニュースがNHKインターネットニュースに流れました。相変わらず、世界は人をあやめる行為を止めません。「国際平和デー」もあったもんじゃありません。これは当事者同士の問題であると言えば、それまでですが、関係がないと選択していることは、結果的にはそうさせている一員かもしれません。何もしないことは紛争を認めていることにつながり、国際平和デーを無視しているようなものかもしれません。とはいえ、私は怖いです。何もできないことが現実です。
ただ平和な世界を創り上げるには、小さな世界の平和の積み重ねとも思ったりします。イッツアスモールワールドです。これは一人ひとりの領域で理想の世界を創り上げることです。それには、仲間とより良い関係を作っていくこを宣言することから始まると思っています。身近なところから「平和」を意識していくことはできるかもしれません。世界が国際平和デーなら、自分たちの領域の中でも「平和デー」と決めたらいいと思います。「家族の平和デー」とか「僕たちの平和デー」とか。今日は我々の平和の日と置き換えるのもありかなと。
他方、本日はお彼岸の入りであります。日本仏教の伝統行事で、ご先祖様を供養し感謝する日でございます。また、お墓参りに出かけたり、お坊さんに来て頂いたり、故人を偲び、悼む日であります。
こういった先祖供養や故人へ感謝をする機会を経て、改めて、自分たちは生かされていることに気づきます。日々、目の前のタスクに追われて心を亡くし、今が当たり前でないことを忘れがちであります。そういった意味ではお彼岸は、自身と向き合う日であると置き換えてもいいのかもしれません。
向き合い方としては、ご先祖様に恥かしくない生き方をしているのだろうか。故人は、向こうの世界から見て、今の自分をどう思っているのだろうか。なんて、答えはありませんが客観的に自分を考えるよい機会となると思います。
それぞれの置かれた環境に応じて、できること、やりたいこと、やらなければいけないことに一生懸命に取組み、課せられた課題から逃げずに向き合っているのか、今一度振り返って自分を見つめてみる。お彼岸は年2回あるから、半年に1度、自分を見つめ直せますね。
ということで今日という日は、先ず、自分を中心とした小さな世界において平和デーとしたいと思います。身近な家族、恋人、また経営者であれば社員さんたちとの関係性において、より良い関係づくりを宣言するのも良いのではないでしょうか。今日は積極的に言葉と態度でもって。そして、ご先祖さまに供養と感謝をし、自分を客観的に見つめ直す機会とする。
プラス、今日がそもそもなんらかの記念日や、特別な日であることもあるでしょう。それらも含めて良い一日でありますように。と願う日であります。
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