三井寺参拝-103

寺社

三井寺は平安時代、疫病が蔓延した際に朝廷や貴族たちから特別な祈祷を依頼されました。藤原摂関家をはじめとする貴族たちは、三井寺の霊的な力に信頼を寄せ、その祈祷が社会の安定や自身の家族の無事をもたらすと考えていました。

例えば、藤原道長の時代には、天変地異や疫病の発生が続き、その克服を願う祈祷が三井寺で盛大に行われたと言われています。このような時期において、三井寺は霊的中心地としての役割を果たし、祈りと儀式を通じて貴族たちの不安を和らげ、社会全体に希望をもたらしました。

また、三井寺に湧く「三井の霊泉」は平安時代の貴族たちにとって、特別な信仰の対象でした。この霊泉の水を飲むことで健康が守られるとされ、道長やその家族も足繁く通い、霊泉の恵みを受けたという記録が残っています。

藤原道長や貴族たちが祈りを捧げたその時代と同じように、三井寺は現代でも多くの人々にとって特別な祈りの場所であり続けています。その歴史の重みを感じながら、私は少し大津に足を延ばして、1300年にわたり祈り続けられたこの価値の伝承を目の前に、自身の今年の祈りを捧げたいと思いました。

正月の冷たい空気が頬を刺す中、三井寺の長い参道を歩きました。参道の奥に金堂が凛と佇んでいます。金堂には弥勒菩薩がご本尊でいらっしゃり、運よく普賢菩薩の御開帳にも遭遇することができました。

金堂の中は、外気よりもさらに冷たく、まるで時間が止まっているかのような空気感が漂っていました。「1300年前も、この冷たさに包まれながら多くの人が祈りを捧げていたのかな」と思うと、過去と自分の心が静かに繋がるような感覚に陥ります。

初詣の混雑もひと段落した参拝でもあり、静かな三井寺を体験できました。なんとも良い鐘の音が境内に響きます。私の今年のテーマは「無病息災」と「与える」です。この冷たい空気の中で、自分にできることを思い描き、心を新たにしました。

弥勒菩薩の前に立ち、「健康であることのありがたさ」を深く感じました。健康でいるからこそ、誰かのために力を尽くし、与えることができる。普賢菩薩の御開帳にも遭遇できたのは、今年の行動を導くためのご縁なのかもしれない、と心がワクワクしました。

鐘の音っていいですよね。不思議と安堵感を感じ、心が落ち着きます。三井寺の鐘は特に「三井の晩鐘」として知られ、日本三大名鐘の一つに数えられています。

この鐘の音は、平安時代から多くの人々の祈りや願いと共に鳴らされてきました。藤原道長もまた、その音を耳にして心を鎮めた一人だった、とか。三井寺の鐘の特徴は、その「清らかさ」にあると言われています。音が消えるまで、耳で追いかけてみる。自然と深呼吸している。なんかとてもいい瞬間だ。

鐘の音を追いかけながら、今年のテーマである「無病息災」と「与える」という言葉が改めて考えてみる。健康でいることの大切さ、そして自分が健康であることで他者との関係性とよりよくできる。そんなことを考えたりした。

観音堂にのぼってみると、琵琶湖の風景が目に映りました。少し曇り空だったことに物足りなさを感じつつも、普段目にすることのない広がりある景色に、思わず目が離せませんでした。

金堂の静寂、鐘の音、そして琵琶湖の風景。それに加えて、境内で見かけた孔雀の存在も印象的でした。この大きな寺院には、ただ参拝するだけで包まれるような安心感があり、まるで2025年の私のテーマを応援してくれているように感じました。

1300年もの間、祈りとともに歩んできた三井寺。その長い歴史の中で、私の祈りもその一部に加わったのかと思うと、なんだか嬉しい気持ちになりました。今年は、自分の役割を果たし、誰かのために行動する一年にしたいと思います。

三井寺が持つ静けさと荘厳さ、そして琵琶湖の風景とともに、皆様も新しい年を穏やかに迎えられますように。

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