本日は暦の上で立秋となり、秋のはじまりです。夏真っ盛りで秋というのは、おかしな話ではありますが、徐々に朝夕吹く風に涼しさを感じられるようになっていきます。まあ、秋の気配に乞うご期待というところですね。
昨今、世の中はオリンピックで大盛況です。メダル獲得に拘る、各競技の選手の熱い言葉と取り組む姿勢には感動を覚えます。まあ、結果というものは、うれしいものでもあり、悔しいものでもあり、神様も難しいところでしょう。しかし、選手全員、オリンピック行きのチャンスを掴んだことは事実です。そのチャンスを掴みとるにあたり、さぞ想像を絶する準備があったと推察いたします。
オリンピックの大盛況の傍ら、中小企業の経営者の皆様も、必死で経営に取り組んでいます。現状を如何によくするか、来期をどうするか。大きな視点で物事を考え、組織別・部門別にその考えを分けて落とし込み、従業員全員で目標を共有し日々前進していく。その中で、経営者として如何にチャンスをつかみ取るか、または社員の立場として如何にチャンスをつかみ取るかという視点が非常に大事な行動指針になってくると思います。
民俗学者の柳田國男先生の「日本昔話」の中で、「蝉と大師様」という話があります。弘法大師が乞食のような服で田舎をめぐっていて、ある百姓の家に泊まることをお願いしたが、百姓はお大師さんの身なりを見て、宿を貸さなかった。その後でお大師さんと気づいて、お大師さんを探したが「時すでに遅し」で、お大師さんはもう遠くに行ってしまった。百姓はなぜか木に登ってお大師さんの名前を呼び続けて蝉になったらしい笑。と、このようなお話です。百姓はチャンスを逃しました。
チャンスというのは、後で気づいても掴むことのできないものなのです。なぜなら、チャンスの神様は独特の髪型をされているからです。
ギリシャ神話にカイロスという神様がいます。最初は男性神で後に幸運の女神と呼ばれる神様になられたようです。チャンスの神様、カイロスの髪型は、前髪は長く、後頭部は禿げているようです。チャンスは、チャンスだ!っと気づいて、振り返って掴もうとしても、毛がありませんので掴むことができないのです。要するにチャンスが巡ってきた時点で、前から髪を掴んでしまわないと、通り過ぎれば掴めないのです。
さて、我々はいつ巡ってくるかわからない、このチャンスに気づいているでしょうか。また、掴みとることができているでしょうか。私は、チャンスの後ろ姿を見ないためにも、いつ巡ってきてもいいように絶対的に準備という行動が必要であると考えます。この準備には行動と思考の切り口があり、行動には2つのパターンがあると思います。
1つ目の行動パターンです。新規顧客獲得のチャンスに対する行動例です。これはロープレ実施です。毎日決まった時間、ロープレの練習をする。また、昇進のチャンスの場合の例としては、マネジメントやリーダーシップの在り方を勉強するという行動です。野球選手が必死でバッティングの練習をすることと同じです。来るべき代打というチャンスでヒットという、神様の前髪を掴むことができるか、それには練習という準備しかないのです。
行動パターンの2つ目です。これは人知れず人に親切にすると幸運の女神が近寄って来てくれます。所謂、陰徳を積む行動です。陰徳を積む人には比較的ビッグチャンスが来てくれたりします。大きいので前髪は掴みやすいです。
そして思考の方ですが、これは引き寄せの法則です。チャンスを待つのではなく、引き寄せるのです。頭の中でチャンスを思考する。それを言葉として書く、そして吐く。それを繰り返し、繰り返し念じる。そうすると不思議とチャンスは前髪をなびかせながら、やってきてくれるのです。
チャンスに気づくには、思考で引き寄せているからできることであり、そのチャンスを掴みとるには人知れず鍛練を積んでいるからできることなのです。故に、チャンスの前髪を真っ向から掴むには、その思考と行動という、準備が必要であると考えるしだいです。
昔話の百姓の話に戻りますが、百姓はチャンスであるということに気づくことができませんでした。まさか、お大師さんが来てくれるという思考はありません。また、お大師さんを宿泊させる練習もしていません笑 お大師さんをチャンスと例えるなら、至極当然の結果です。なぜなら、前にも後ろにも髪はありませんから。。。。。
しかし、お大師さんと分かれば宿を貸すというのは後出しジャンケンです。これは常日頃、困っている人がいればどんな人にでも親切に対応しようね。徳を積もうね。徳を積んでいればチャンスが来てくれるよ。それはサイズ大なので気づきやすいですよ。ということなんでしょうね。
ということで、書いた張本人、チャンスの前髪を掴みとるために、常日頃、思考と行動を繰り返して仕事に挑みたいと思います。1に引き寄せ、2に勉強、3に人助けですね。
今日もありがとうございます。
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