カタルタ遊び-63

日常

若き後継ぎ経営者と不安について語り合ったりする。未来に不安を感じるのは当たり前の話だ。人間という動物である以上、不安と仲良く生きていくことが得策だ、なんて根拠のない助言をしてしまう。

私の机の上には、「カタルタ」という接続語が書かれたカードを置かれている。時々、思考に苦しんだ時、このカードを引いて考えるきっかけをもらったりしている。

大喜利みたいになるかもしれないが、この接続語カードをめくりながら、即興で不安について書き綴ってみる。以下、めくって出たカードの接続語を「黒字」で記載する。それでは1枚目!先ずは「なぜなら」でスタート。いきなり根拠かいっ!

「なぜなら」、不安と仲良くすると、不安が優しくなってくれるからだ。仲良くするとは、お互いを理解するということだ。どんな性格であるかを解ってくれると、相手は優しくなる。お互いの緊張が和らぐんだ。また、理解するとは不安の正体を言語化するということだ。それを文字にしてみて眺めてみると、不安ってそんなに大したもんでもない。

「きっと」、そういうもんだ。人間という生き物はどんどん新しい出来事が積み重なって、古い記憶が薄れていくもんだ。新しい知識がインプットされると、不安の正体も「きっと」薄れていくもんだ。

「そのくせ」、新たな不安の種が出てきたりする。未来に向かって進めば進むほど、不安の種が生じてくる。「そのくせ」たちが悪い。漠然とした不安はたちが悪いもんだ。

「そろそろ」、人生において不安がることは止めてみないか。と自分に問いかけたりする。仲良くするのもいいが、そこに時間を使ってしまうのは生産的ではない。「そろそろ」不安とオサラバしてみよう。紙に「漠然とした不安」と書いて、それをビリビリに破いて捨ててみよう。

そしたら、「いつのまにか」不安を感じたりしない、自分になったりしているもんだ。「いつのまにか」ね。

「せめて」、少しは考えた方がいいって?いやいや折角不安とオサラバしたんだ。「せめて」もくそもないよ。けど、

「なぜか」、寂しいんだ。非生産的とは言え、考えることが好きなんだ。不安という自分が作り出した正体不明の幻像みたいなものに、真正面から向き合ってみること。その思考を止めてしまうとなんか寂しかったりするんだ。

「とにかく」、不安って自分が勝手に作り出した正体不明な友達なんだ。時にやさしくもあり、難しくもあり、漠然としたり、こわかったり、自分で作りだしておきながら、自分の感情を揺さぶりやがるんだ。「とにかく」わけのわからん奴なんだ。

「ちなみに」、オサラバすると雨雲から眩しい光が差すような、嬉しさと出会う。その後、気分上々になって行動的になったりする。けど、そのときめきみたいなものに飽きると、また不安が恋しくなったりする。自分ってわがままだと思う。両者とも自分が作り出しているのに。

「今のところ」、そんな感じ。

こうやってカタルタカードで不安について即興で、推敲なしで書いてみた。文章を振り返ると、支離滅裂だけど楽しかった。まあ、不安ってそんな悪い奴じゃなさそうかな。だから、一生付き合ってもいいかな。と、「今のところ」そう思っている。

出たカード(接続詞)「なぜなら」→「きっと」→「そのくせ」→「そろそろ」→「いつのまにか」→「せめて」→「なぜか」→「とにかく」→「ちなみに」→「今のところ」

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